【3分で簡単に分かる】ボヤカの戦い
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前回、コロンビアがスペインからの独立するきっかけとなった出来事を紹介しました。
記事の最後では、反政府代表のホセ・アセヴェド・イ・ゴメスのお陰で、スペイン政府によって敷かれていた法律がなくなり、コロンビアの法律が適用されたところで終わりましたね。
そして今回は、その後に起きた、コロンビア独立を勝ち取った最終決戦、「ボカヤの戦い」についてです。
ボヤカの戦いとは
南アメリカ北部における、スペインからの完全独立を勝ち取った戦争です。
前回記事で説明した、1810年より始まった独立運動に終止符を打った独立戦争ですね。
ボヤカの戦いのきっかけは、スペイン王
では、なぜこの戦いが起きたのか。
ずばり、スペイン王の復活が原因です。
前回記事でも説明したように、ナポレオンがスペイン王フェルナンド7世を捕まえたことで、国民がスペイン支配に反発するようになり、徐々に支配も緩くなっていったのですが、その後、フェルナンド7世が王座に舞い戻ってしまいます。
そして、スペイン王が南アメリカの北部支配を強化するために、スペイン軍をコロンビアに送り込むことで、大きな戦争へと発展していきました。
シモン・ボリバルの独立運動
スペイン王がスペイン軍をコロンビアに送り込んだ時期、シモン・ボリバル(Simon Bolivar)が、スペインからの独立のため、コロンビア各地で独立戦争を起こしていました。
最初の戦争が、1819年7月11日に起こした「ガメサの戦い」。次いで、7月25日には「バルガスの戦い」、そして8月5日に、「ツンハの戦い」を起こし、これら3つの戦いそれぞれでスペイン軍に勝利を収めました。
そして、最後に、シモン・ボリバル率いる反政府軍がぶつかったのが、ホセ・マリア・バリエイロ将軍(Jose Maria Barreiro)率いるスペイン軍。1819年8月7日に起きた「ボヤカの戦い」なのです。
ボヤカの戦いの舞台
戦いの舞台となったのは、コロンビアの首都ボゴタから110kmほど離れたアンデス山脈に位置する、ボヤカ橋(Boyaca)。
6時間でスペイン軍を撃退
シモン・ボリバルの戦略は至ってシンプル。ボゴタに行進中のスペイン軍を、テアティーノス川に架かるボヤカ橋で待ち伏せし、意表をついて、スペイン愚を包囲しました。この作戦のお陰で、戦いはなんと6時間足らずで反政府軍の勝利、スペイン軍が降参します。
ボヤカの戦い後
スペイン軍が退いたため、ボヤカの戦いの3日後の1819年8月10日に、反政府軍がボゴタ入りをし、シモン・ボリバルがコロンビア独立を宣言しました。1819年12月17日、シモン・ボリバルがコロンビア共和国の大統領に就任しました。
現在、ボヤカ橋はコロンビアの歴史の象徴となっており、シモン・ボリバルや彼と共に反政府軍を勝利に導いた、フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル(Francisco de Paula Santander)などの銅像で囲まれています。
¡Viva Colombia!(ビバコロンビア!)
少しでもみなさんにコロンビアの魅力が伝わりますように
Oriana van Beem